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ジャスティン・ガトリン優勝したがブーイングの理由!ボルトとの仲は?

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ロンドンで行われた「世界陸上選手権 2017」にて男子100M決勝が行われました。

今大会で現役引退を表明しているウサイン・ボルトさんは3位に終わり、優勝したのはジャスティン・ガトリンさんでした。

ジャスティン・ガトリンさんが1位と分かると観客はブーイング、続いてウサイン・ボルトさんのコールが始まりました。

ここでは、ジャスティン・ガトリンさんへのブーイングの理由とウサイン・ボルトさんとの仲についてまとめました。

ジャスティン・ガトリン プロフィール

http://xn--p8j2bhdbq15a.com/sports/3229/

名前:Justin Gatlin
生年月日:1982/2/10(執筆時35歳)
出身地:アメリカ・ニューヨーク・ブルックリン
身長:185cm
体重:79kg
出身大学:テネシー大学
職業:陸上短距離選手
自己ベスト:100m-9秒74(2015)、200m-19秒57(2015)

 

2004年、アテネオリンピック 100mで金メダルを獲得。

2006年、ドーピングにより出場停止処分。

20010年、出場停止解除。エストニアでの国際大会で優勝。

2012年6月、全米オリンピックトライアルの100mで優勝し、同種目のオリンピック米国代表に内定。

8月、ロンドンオリンピック100m決勝で9秒79で自己新記録を更新し、銅メダルを獲得。

2013年、世界陸上モスクワ大会100m決勝で9秒85で銀メダルを獲得。(世界選手権のメダル獲得は8年ぶり)

2014年、ダイアモンドリーグにおける100m決勝にて自己ベストとなる9秒77を記録して優勝。

2015年、カタールスーパーグランプリ100m決勝では9秒74を記録し、33歳にして自己新記録を更新。

2017年、 世界陸上選手権100m決勝で9秒92を記録し優勝。

ウサイン・ボルト プロフィール

http://www.zakzak.co.jp/spo/200905/image/s2009051826APbolt_b.jpg

名前:Usain St. Leo Bolt(ウサイン・セント・レオ・ボルト)
愛称:ライトニング・ボルト
生年月日:1986/8/21(執筆時30歳)
出身地:ジャマイカ・トレローニー
身長:196cm
体重:93.89kg
職業:陸上短距離選手
自己ベスト:100m-9秒58(2009)、150m-14秒35(2009)、200m-19秒19(2009)←全てが世界記録

 

【通算メダル】

オリンピック
100m、200m、4×100mリレーの3冠を3大会(北京、ロンドン、リオデジャネイロ)連続で達成したが、後に北京でのリレー金メダルが剥奪されたため通算金メダルは8個。

世界陸上
100m、200m、4×100mリレーの3冠を3度達成し、100m二連覇(三回優勝)・200m四連覇・4×100mリレー四連覇の通算11個の史上最多となる金メダルを獲得。

 

2004年、アテネオリンピックで一次予選で惨敗。

2007年、世界陸上選手権200m決勝で銀メダルを獲得。(金メダルはダイソン・ゲイ。)

2008年、8月16日、北京オリンピック陸上男子100m決勝で、レース前に、後にボルトの象徴となるポーズを見せた。
レースでは中盤から他選手を圧倒、最後の数歩を両手を広げ流して走り、フィニッシュの際も胸を手で叩く程の余裕を見せた。それでも自らの世界記録(当時)を0秒03上回る9秒69(+0.0m/s)の世界新(当時)で圧勝という結果。
200m、400mリレーでも優勝し3種目において全て世界新記録での優勝。これはオリンピック・世界選手権を通じて史上初。
しかし、2017年のドーピング再検査にてリレーのメンバーだったネスタ・カーターに禁止薬物の陽性反応が出たため400mリレーでの金メダルは剝奪。

2012年、ロンドンオリンピックで100m・200m・400mリレーの三冠を達成。(100m・200mの2連覇は史上初)

2013年、世界陸上モスクワ大会で100m・200m・400mリレーの三冠を達成。

2015年、世界陸上北京大会で100m・200m・400mリレーの三冠を達成。
100mは、中盤からウサイン・ボルトとジャスティン・ガトリンの二人による一騎討ちでガトリンは9秒80、ボルト9秒79という僅か100分の1秒差であった。

2016年、リオデジャネイロオリンピックで100m・200m・400mリレーの三冠を達成。

世界陸上選手権2017 100m決勝にてジャスティン・ガトリンが優勝

ジャスティン・ガトリンさんが9秒92(向かい風0.8メートル)で、2005年のヘルシンキ大会以来、2度目の優勝を果たしました。

ウサイン・ボルトさんは9秒95で3位でした。

ジャスティン・ガトリンさんは、2013年と2015年世界選手権、2016年のリオデジャネイロ五輪と3大会続けてウサイン・ボルトさんに次ぐ2位でした。

ジャスティン・ガトリンさんはこの種目の最年長王者となりました。

 

通常優勝者が受けるインタビューは、ウサイン・ボルトさんだけでした。

ウサイン・ボルトさんは、

「言い訳はしたくない。全て出し切りたい思って走ったが、納得いく走りでなかった」

とコメントしました。

 

【100m決勝 動画】

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ジャスティン・ガトリンへのブーイングの理由

ジャスティン・ガトリンさんへは登場のたびにブーイングがされました。

 

ブーイングが起きたのはなぜなのか、その理由はドーピング違反の過去です。

ジャスティン・ガトリンさんは、2001年と2006年の2回ドーピングをしていたことになっています。

(ガトリンさん側は、2001年の時は、注意欠陥障害の治療薬が原因であるため、ドーピングには当たらないと主張していたが却下されています。)

結果的に米国反ドーピング機関(USADA)により4年の出場停止処分とされました。(最初は8年だったが後に短縮)

 

この2回もドーピング違反をしているという事実が非常に大きいんです。

 

今回の世界陸上でブーイングが起きましたが、今回だけでなく2016年リオデジャネイロオリンピックでもブーイングは起こっていました。

 
ロンドンの世界陸上に来ていた観客はそういった過去がある上で見ており、いかに陸上を愛しクリーンで平等なスポーツを望んでいるかがわかる一件だったのではないでしょうか。

今回はドーピングはしていないし、優勝したから褒め称えればいいという考えもありますが、世界的には、”ドーピングした罪は消せない”という考えが多く占めているということなんでしょう。

このブーイングはそういった意思表示になっているということですね。

 

満員の観客が望んでいたのは、ボルトの有終の美でした。

 
レース後、インタビューを受けたのはウサイン・ボルトさんだけ。

会場内の微妙な空気を察したのか、ジャスティン・ガトリンさんはウイニングランをあっという間に終えました。

ジャスティン・ガトリンとウサイン・ボルトの仲や関係について

ジャスティン・ガトリンさんは前出の通り、リオ五輪と今大会で、登場のたびに大きなブーイングも浴びてきましたがこんな発言をしています。

「みんなボルトを応援するが、相手がいなければ成り立たない」

ジャスティン・ガトリンさんには1番のライバルだという自負があります。

 
2015年、世界陸上北京大会ではこんな発言もしています。

「もし自分が負けるとしたら、ここにいるこの男だ」

 

そんな発言のあった北京大会で、200mで優勝したウサイン・ボルトさんにウイニングランの最中に後ろから来たセグウェイに乗るカメラマンが転倒しそのセグウェイが足にぶつかるという事件がありました。

https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201508280002-spnavi

幸い大事には至らず、ウサイン・ボルトさんは記者会見で

「ガトリンがカメラマンを雇って仕組んだんじゃない?」

とジョークを飛ばし、その場にいたジャスティン・ガトリンさんも

「けがをしなかったって?じゃあ、彼に渡したお金を返してもらおう」

とジョークで応じ会場は爆笑につつまれました。

 

2016年には、

ウサイン・ボルトさんが7月のジャマイカ選手権決勝を左足の違和感で欠場したが、ジャマイカ陸連の「実績ある選手がけがで棄権した場合は救済できる」という条項により五輪出場が決まりましたが、これに対しジャスティン・ガトリンがコメントしました。

「オレたちの国ではないこと」

と批判。

これにウサイン・ボルトさんは不快感を示し、ある会見にて

「メダルをとるにはメンタルが大切。特にレースの最後の瞬間はメンタルが重要なんだ」

と力説。

司会者から

「それはガトリンのことかい」

と聞かれてニヤリと笑みを浮かべました。

 

ネットでは喧嘩だと話題になりました。

 

じゃあ2人は仲が悪いのかと言うとそうではありません。

 

実は世界陸上北京大会の後のインタビューで2人はこんなコメントを残しています。

ウサイン・ボルト

「彼、世界選手権が近づくといろんなことを言ってくるんだ。でも、ひとたび大会が終わると僕を困惑させる。まるで親友みたいだよ」

ジャスティン・ガトリン

「彼は素晴らしいライバルで、自分の限界を押し上げてくれる存在」

「いつか歳をとって、人生を振り返った時に『知ってる? この人の歴史をつくる手助けをしたんだ、彼は、僕がアスリートとしてステップアップするための後押しをしてくれたんだ』と言えるような存在さ」

と語っています。

感動的ですね。

2人はそれぞれにとって切っても切り離せない、必要な存在だったんですね。

 
【世界陸上2017 100m決勝での2人】

http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK00003_W7A800C1000000/

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