グラミー賞で最優秀アルバム、最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバムなど4部門を受賞したことがあるスティーリー・ダンの中核メンバーのウォルター・ベッカーさんが死去しました。
ここでは、ウォルター・ベッカーさんの死因と経歴プロフィールと追悼コメントをまとめました。
ウォルター・ベッカーが死去
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バンド、スティーリー・ダンのギタリスト・ウォルター・ベッカーさんが死去したとニュースがありました。
亡くなったのは、9月3日。
67歳でした。
ウォルター・ベッカーが死因は?
ウォルター・ベッカーさんが死去したと報道があってから半日以上は経っていますが、現時点では、死因は明かされていません。
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7月にあったスティーリー・ダンのライブをウォルター・ベッカーさんは”健康上の理由”ということで欠席していました。
バンドメンバーのドナルド・フェイゲンさんは、8月のインタビューで、
「ウォルターは回復しつつあり、すぐに元気になることを願ってる」
と病名は明かさず話していました。
ウォルター・ベッカー Wikiプロフィールと経歴
名前:Walter Becker
出生名:Walter Carl Becker
生年月日:1950年2月20日
出身地;アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区
死没:2017年9月3日(満67歳没)
学歴:バード・カレッジ中退
ジャンル:ロック
活動期間:1971年〜
レーベル:MCAレコード、ワーナー・ブラザース・レコード、リプリーズ・レコード
アメリカのジャズ・ロック・バンド「スティーリー・ダン」の中核となる二人のうちの一人。
バード大学に入学した時に、もう1人のスティーリー・ダンの中心メンバーであり、長きにわたる音楽のパートナーとなるドナルド・フェイゲンと出会う。
ドナルド・フェイゲンと若い頃には、芸名を用いてのジェイ・アンド・ジ・アメリカンズのもとでの活動、1970年代初頭、スティーリー・ダン結成以前の作曲家としての活動がある。
1981年にスティーリー・ダンが解散。
その後、ハワイに移住してプロデューサー活動を始める。
リッキー・リー・ジョーンズ、チャイナ・クライシス、マイケル・フランクスなど多彩なアーティストをプロデュースした。
1993年、スティーリー・ダン名義でツアー。
スティーリー・ダンのアルバム『Two Against Nature』(2000年)がグラミー賞で最優秀アルバム、最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバムなど4部門を受賞。
2001年、ドナルド・フェイゲンと共にスティーリー・ダンとしてロックの殿堂入りを果たした。
ソロアルバム
- 11の心象 11 Tracks Of Whack(1994年)
- サーカス・マネー Circus Money(2008年)
ウォルター・ベッカーの演奏スタイル
ウォルター・ベッカーさんの演奏は、知性的で、味わい深く、リズミカルで知られ、彼のよく知られ、ファンクやジャズの傾向を強くもったロックスタイルと言われています。
ウォルター・ベッカーへの追悼コメント
相棒のドナルド・フェイゲンさんが追悼コメントを発表しました。
ウォルター・ベッカーとは1967年にバード大学で学生として出会って以来、私の友人で、私のライティング・パートナーで、私のバンドメイトでした。私たちは、大学が寮として使っていたハドソン川の古いマンションWard Manorのロビーにある小さい居間でアップライト・ピアノを使って、おかしな小さい曲を書き始めました。
我々は多くの同じものが好きでした:ジャズ(1920年代〜60年代半ばまで)、 W.C. フィールズ、マルクス兄弟、SF、ナボコフ、カート・ヴォネガット、トーマス・バーガー、ロバート・アルトマンの映画が好きです。同じくソウルミュージックやシカゴ・ブルースも。
ウォルターはとても大変な子供時代を過ごしていました(詳しいことは省かせてもらう)。幸いにも彼は頭が良く、優秀なギタリストで、偉大なソングライターでした。彼は皮肉屋で、それは自分自身も含めてであり、大笑いするほど面白かったです。彼は創造的な模倣の才覚を持っていて、人々の隠された心理を読んで、そして彼が見たものを快活な鋭い芸術に変えました。彼は私の妻リビーの独特の声で(送られることのなかった)手紙を書いて、私たち3人を大笑いさせていました。
彼の習慣は70年代の終わりまでに彼の中で最も良くなりました。そして我々はしばらくの間連絡が途絶えました。80年代に私がリビーと一緒に“New York Rock and Soul Revue”(音楽プロジェクト)をまとめ上げていたとき、我々は再び繋がり、スティーリー・ダンのコンセプトを復活させ、素晴らしいバンドを発展させました。
私は我々が一緒に作り出した音楽を、私ができる限り、スティーリー・ダン・バンドと一緒に生き続けるようにしておくつもりです。
ドナルド・フェイゲン
引用:http://amass.jp/93825/
その他、多方面から追悼コメントが届いています。
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ご冥福をお祈りします。