冨重代機のWikiプロフィール
名前:冨重代機(とみしげしろき)
職業:映像ディレクター、現地コーディネート・ロケーション業、写真家
住所:フィリピン・マニラ
映像・写真制作会社の株式会社SIDE-Bにて映像ディレクターとして働いています。
フィリピンで撮影などをしている模様。
フィリピンの高校を撮影されていました。
手がけた作品
映画・映像
秋桜残香 コスモスザンカ(2005)
終戦60周年を記念し製作されたショートムービー。
製作総指揮(総合監督)を担当しています。
出演キャストは高杉哲平、金田文雄、たなかえり、河西りえ。
2008年の24時間テレビの今井絵理子さんと息子・礼夢(らいむ)くんの映像も冨重代機さんが制作しました。
PV
今井絵理子 「embrace」
2013年に発売された今井絵理子さんのソロアルバム「Just kiddin'」の収録曲です。
「embrace」はTENN(ET-KING)さんと結婚した上原多香子さんへ贈った曲です。
PVには、ウェディングドレス姿の上原多香子さんも登場します。
本
ココロノウタ(祥伝社 / 2009/2/14)
今井絵理子さんと礼夢くんの4年間をつづったエッセイです。
冨重代機は今井絵理子の元カレ
175RのSHOGOさんと離婚を発表したのが2007年9月ですが、この時にすでに二人はできていたそうです。
冨重代機さんには、半同棲中の彼女がいました。
そのマンションまで今井絵理子さんは押しかけたこともあるらしく、略奪して交際することになります。
それから今井絵理子さんと礼夢くんと三人での同棲生活が始まりました。
冨重代機さんは、礼夢くんのことを自分の息子のように大事に育てたそうです。
ろう学校幼稚園では熱心に話を聞き、運動会などの学校行事にも参加、三人でよく散歩するなどして地域住民の間では有名でした。
聾(ろう)学校とは、聴覚障害者に対して普通教育に準ずる教育をほどこし,併せてその障害を補うために必要な知識・技能を授ける学校のこと。[/aside]
過去に、聴覚障害をお持ちの登山家・田村聡さんへこんなメッセージを送っています。
突然のメッセージ失礼します。冨重(とみしげ)と申します。
立川聾学校でインターネット検索をしていましたら田村さんのHPに辿りつきメール致しました。現在、3歳の息子が立川聾学校の幼稚部に通っております。
田村さんの登山などの記事を拝見しまして、とても感銘を受けました。
息子の将来に不安はありませんが、田村さんのように何か打ち込めるものや夢を抱き、笑顔で成長してほしいと願っています。4月より国立に引っ越しをしてきました。まだ不慣れな点はたくさんありますが、毎朝息子は笑顔で学校に通ってます。
私事ばかり書いてしまいましたが、今後とも是非色々と田村さんのお話など知りたいです。
最近、手話を立川聾学校に息子と行って少しずつ勉強中です。チョモランマには絶対に登ってくださいね^^
引用:http://megalodon.jp/2009-0511-0359-10/www.everest-tamutamu.com/03.htm
ここでは礼夢くんのことを「息子」と呼んでいました。
これほど礼夢くんのことを大事にしていたので、礼夢くん自身、冨重代機さんのことをパパと呼んでいたそうです。
冨重代機さんは、礼夢くんのベビーシッター状態だったと言われています。
24時間テレビやココロノウタは、父親同然の冨重代機さんが撮影していたということになります。
自然体な今井絵理子さん親子が映し出されていました。
再婚説がささやかれましたが、今井絵理子さんの両親が反対していたため再婚には至りませんでした。
こういう生活が約8年も続きましたが、別れる時が来てしまいます。
週刊女性が冨重代機さんに取材をしています。
冨重代機さん曰く、
「たしかにいちばん長い付き合いでしたし、(同棲も)はい……そうですね。ただ、フラレて別れたのではありません。
事業で移り住んで1年ほどですが、5年くらい前から海外を行き来するようになって各地で障がいのある方たちの写真を撮るようになったんです。その中で、フィリピンに行きたい気持ちが強くなって別れることになりました」
引用:http://www.jprime.jp/articles/-/10407?page=2
礼夢くんと触れ合っていくうちにいろいろとビジョンが見えてきたのでしょうか。
この取材は、2017年の今井絵理子議員の橋本健議員との不倫報道後のことですが、いまだに礼夢くんに対しては親心のような感情があるようです。
言葉に詰まりながらこのように発言しています。
「意思疎通ができないこともありましたし、表情を読み取ったり……。実の息子でもないですし……、僕も親父がいないので……。でも、彼は強いから大丈夫ですよ」
「耳が聞こえないぶん、目から物事の情報が入るんです。例えば牛丼屋に入れば“牛丼屋さんになりたい”、寿司屋では“寿司屋さんになりたい”と。いま、彼はどんな夢を見ていて、どういう道を進もうとしているのか、遠くから見守りたいですね」
引用:http://www.jprime.jp/articles/-/10407?page=2
読売テレビの「朝生ワイド す・またん!」の電話取材では、こうも言っていました。
「結婚も考えていた」
上記の冨重代機さんの言動を見ると容易に想像できますよね。
思いやりのある素敵な方でした。